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  • 執筆者の写真Takayasu Hoshino

「命の大切さを教えてほしいと言われても」


自分自身が中学校の時に受けた性教育で覚えているのは、性感染症患者の局部の写真を授業参観で見せられました。クラスは田舎だったので2クラスしかなかったんですが、片方のクラスは授業参観じゃない授業でその写真を見てそうとう盛り上がったらしいです。中学生のちょっと下ネタ好きなやんちゃな子とかは、そういうの見たらテンション上がるでしょうからね。でも自分のクラスは授業参観で母親たちが教室の後ろで見てる時にそんなもん見せられても反応するわけにいかなくて。もともと授業参観なんて静かになるわけで、そこでそんなもの見せても。先生も授業をしながら反省していました。でも当時の先生、なかなか攻めたことしてたなーと思います。

そしてその後、性教育講演会があったんです。

その時の内容は「命って素晴らしい」、「産まれてきた命はみんな大切」「だからみんな自分を大切にしないといけない」みたいな授業でした。今もそういう講演ってニーズがあるのかはわからないんですがそれってどうなんだろうって疑問に思います。

たまに講演感想を生徒だけでなく先生からも頂くことがあって「看護師という仕事から命の大切さについて話をつなげたほうがいいのでは?」なんていう学校の先生からの意見や「産まれた命の大切さについて話したほうが女の子はすごくいい気持ちになる」なんて医療職者からの意見をもらったりします。

でもそんなこと俺には言えないんですよね。講演に対する姿勢として自分自身の経験談から話すようにしています。ありきたりなメッセージやスローガンは子どもたちは耳をふさいでしまったり、統計や数字には興味を抱かないことのほうが多い。実際に誰かが経験した話こそ子どもたちに響く。それで、「命の大切さ」「産まれてきた命の大切さ」なんて俺の人生経験では語れないんです。残念ながら看護師として5年働いていますが、日々思うことは「命は大切だな」っていうことではありません。そういうことはそういうことを感じる経験をした人にお願いして自分は語りません。

それに精神科医の松本俊彦先生の調査では「中高生の1割はリストカットなどの自傷経験がある」と言われています。自傷行為というのは不快感情への対処行動、怒りだったり、不安だったり、絶望感と言った感情を和らげるために行われます。そういう感情を持って自身を傷つける子たちがいる環境で、「産まれた命は大切、みんな自分を大切にしなければいけない」なんて言ったらその1割の子どもたちはどういう気持ちになるんでしょうか。

俺も中学校だか小学校の時に自分の手首だか腕だか切ったことがあります、そんなガチのやつじゃなかったたのでしっかり覚えていませんが。それに今も仕事して、病院の図書室で夜の23時まで仕事の技術の復習、係の仕事、委員会の仕事、勉強会の資料作成、それから講演のPPTの修正、ピアカウンセラー養成に関する調整の仕事とかして「疲れた、イライラする」って感情を持って、帰ってから体に悪いと思いながらお酒いくつも飲む。それも自傷行為です。仕事は好きでやっていますが、自分を痛めつけて更にアルコールに頼っている。自分だけじゃなく高校の後輩で精神科を受診している女の子がもらった薬を乱用していたことがありました。同窓会で昔の友だちに会った時に腕に複数の切り傷があった人もいました。

そういう、1割の人を無視した「命は大切です教育」って確かにいい話だ、いいこと言ってるように聞こえる、と感じることもありますが、その1割の子たちがどういう気持なのか考えないといけないのかなって思ってます。

自分にできることは自分の経験を話して、その中で出てくるのは必ず誰かとコミュニケーションをとっていたことです。誰かに頼ったり、頼ったわけではなくても近くにいた人が助けてくれた、そういう話がいいんじゃないかなって思います。講演の感想であるとうれしいのは「星野先生みたいに誰かの相談に乗れるようになりたい」って、こういう感想を持ってくれた人は誰かが困っていた時、性に関することでもそうじゃないことでも、そういう時に助けられる存在になれるんじゃないかなって思います、一回の講演だけじゃどうにもならないですけどね。


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